「ハッピーエンドを前提として」生きてるけども
「ハッピーエンドを前提として」って言葉ほど重くて切なくて希望のありそうで無さそうな現実的な言葉を私は知らない
つまりは今が幸せだと思っていないわけで、ハッピーエンドを語るために美談になるような苦行を日常にして生きてる。進行形で生きてる。
でも、幻想を語ってないしとても現実的だと思うの。そこまで分かってるからこの言葉に希望を込めてるんだと思う。全人生賭けて、最後の最期にハッピーになる希望を込めてるからめちゃくちゃ思い想い重い。
あとたぶん、幸せな子達をちょっと馬鹿にしてる、はず
幸福度が高いのは不幸であることを自覚してないか、不幸であることを口に出せない統制国家かの2択だ
この言葉も言い換えれば幸せだと思ってる人を馬鹿にしてるんですよね。まぁ全人類みんな不幸だって叫んでる方が不幸か幸せか分からないですけど
もしも自分が不幸なら、世界中不幸な方が幸せだもんね。
幸せだって言える幻想主義者を下に見てる現実主義者、つまり私なんだけど、前向きでへこたれないくせに楽観主義者じゃない所、インスタだったら10000♡は下らないはず
たぶん私を傷付けられるのは私だけ(あと親友と家族)
まぁ何が言いたかったかっていうと、
ハッピーエンドを語るのは主人公じゃなくて読者だけれども、私とあなたで人生という名の物語りをハッピーエンドに。
愛でたし愛でたし